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彼女はその表情を少しもくづさずにすつと引き下つたが、間もなく帰ると、
「どれ一つ診ませうかな。――ふうむ、これあどうしたのかね、ハッパでやられたのか」
これはちっとも可笑おかしくない!彼ら二人は実にいい夫婦なのである。
「うん、今帰るところだ」
「今日は士曜日で、半休だからね」
房一は急いで膿盆をひきよせた。
道中は別に変ったこともなく、根津の主従は箱根の湯本、塔の沢を通り過ぎて、山の中のある温泉宿に草鞋わらじをぬいだ。その宿の名はわかっているが、今も引きつづいて立派に営業を継続しているから、ここには秘しておく。
「あ、いゝ、いゝ。なんでもありやしない。今すぐ行かう」
房一は患者の前にもどつて来た。
「かういふ玩具おもちやのやうなものを出して、年甲斐もないことでした」
最初、房一の頭の中にはペンキ塗りの清潔な外観を持つた医院が描かれていた。だが、この長たらしい築地にかこまれた家を一見するに及んで、その考へは棄てざるを得なかつた。今の大工の一言できまるまでに、何度玄関を外から眺めたことだらう。
「何んの。面倒だからこのまゝ行かう」